追悼コラム キン子さんと過ごした日々【前編】

  〈2019年1月、ナースさくまの家で旅立たれた野島キン子さん(享年96歳)との思い出をつづります〉

 

       

 

キン子さんがナースさくまの家に来られたのは、2013年12月28日のこと。老人ホームで暮らしていましたが、薬の副作用で食欲が落ち、歩行も難しくなったため入院。1ヶ月ほどいてそのまま年越しをする予定が、急に病院から年末までに退院するよう言われたのがきっかけでした。   病院の正月体制の都合からか…いきなり放り出される形になって困った家族がケアマネと相談して、さくまの家に、年の瀬ギリギリに移ることになったのです。  

 

     

 

病院では点滴をして、口からはほとんど食べられなかったキン子さん。入居後しばらくして試しにラコールを口に運ぶと、ごくんと飲み込むことができました!それからは息子さんに好きな食べ物を聞きながら、大根を煮たり、甘い物を用意したり…。   徐々に食べる量も増えてきて、やがてどらやきやカステラなどは自分の手でつかんで食べられるまでになりました。「甘味は本当においしそうに食べていた」「温かい緑茶が好きで、よく自分で湯呑を持って飲んで。徐々に、冷ましたりとろみをつけたりしたけど…」と当時を知るヘルパーは振り返ります。    

 

 

 

  長らく八百屋で働いていたキン子さん。80代でお店を閉めるまで、店番としてお店に出ていました。ヘルパーにも、よくお店のことや、市場への買い出しのことなどを話してくださいました。   リハビリの津島先生(桜治療院)によると、足腰がとても丈夫だったそうです。ちなみに津島さんは、キン子さんが杖をついてお灸をしに通っていた頃からのお付き合い。「女学校へ行きたかったが、戦争で行けなかった。食べるものもなく、外に生えているニラのようなものを抜いてみそ汁にしていた…」。当時が悔やまれるのか、何度もこの話をされていたそうです。

 

  (後編につづく)