一人暮らしで大往生 最期のお出かけと水道水
市内の5畳一間に暮らすKさん(95)。10月に余命わずかと言われ、寝たきりの状態から訪問が始まりましたが、関わるなかで少しずつ言葉や活気を取り戻していきました。「あたしね、いつになるかわかんないけど、良くなったら必ずお返しするから、待っててよ」 そう言いながら、ヘルパーの手をぎゅっと握るKさんの目は澄んでいて、いつも心を温かくしてくれました。
そんなKさんと家族のような付き合いの大家さんの希望で、12月15日には久しぶりのお散歩に出かけることができました。主治医の先生からも許可を頂き、訪問看護師とも細かく打ち合わせ、当日はヘルパー2人でお迎えに。「こんなにたくさん人が来て、そうかあたし死ぬのね」と、初めはキョトンとしていたKさんですが、危ぶまれた血圧降下もなく無事に出発。もともとお花が好きだったとのこと、真っ黄色の銀杏の木や、植え込みのお花などをゆっくり見て回りました。Kさんは眩しいのか目を細めていましたが、キリッとした冬の空気と青い空、太陽の暖かさを共に感じることができました。
Kさんは戦争で家を三度焼かれ、家族も亡くし、電話交換手などでがむしゃらに働いてきた人生だったと言います。 甘いものよりも普通の水道水を好まれ「あぁ〜〜美味しい。お水が一番好きなの」と吸呑みからよく飲まれていました。「おばさんじゃないよ、ばばあだよ」そう言ってヘルパーを笑わせながらも、「あなたたちにはわからないほど嬉しいよ」と心の底から吐き出す言葉には、Kさんのこれまでの人生の重みが詰まっていました。
一時は年を越せそうかなと思ったのもつかの間、年の瀬に徐々に状態が落ちていきました。12月28日、薄れていく意識のなかで「お、お水…」と言われ、スポンジでお口を湿らせて頂きました。そして翌日の朝方、静かに旅立たれました。
Kさんの一生の最期にわずかでしたが、周りの方々と協力して関われたことを光栄に思います。心よりご冥福をお祈りいたします。