ケアを訪ねて~ 住み慣れた地域で迎える最期

  2月2日の朝ヘルパーが訪問すると、Bさん(70歳)が静かに旅立たれていました。訪問が始まって3週間後のことでした。    

 

市内にお住いのBさんは元クリーニング屋さんで、2年前に病院でがんの奥様を看取られました。1月上旬にお伺いしたご自宅はよく整理整頓されており、実直に働いてこられた性格がにじみ出るよう。奥様の写真と仏壇、遺品の模造刀が飾られていました。私たちがお会いしたとき、すでに余命を宣告されていたBさんは、そのことを受け入れており、自宅で最期を迎えたいとの希望をお持ちでした。「ご迷惑をかけるが、最後に自分の骨は妻のと一緒に海に散骨してほしい」。カンファレンスで淡々と述べられるその姿に、周囲もBさんがきちんと覚悟しておられることを確認しました。ヘルパーは、1月11日から週1回の買い物代行をスタート。食欲はあまりなく、ご希望で果物や即席ラーメンなどを購入しました。歩くと息苦しい状態でしたが、Bさんはむくんだ足を看護師さんから教わった方法で手当てするなど、できるだけ身の回りのことを自分でなさろうとしていました。

 

しかし、1月下旬に急に容態が悪化。医師や看護師との相談で、ひとまず2月2日に入院することに。「ここらで一人暮らしに見切りをつけないといけないかな…」。そう言いながらも、また退院して自宅へ戻ることを望まれていました。入院前日の2月1日は、Bさんの体調悪化が進んだために、急きょ3回ご訪問することになりました。Bさんは意識があり、断続的に出る痛みのため、処方された鎮痛剤を飲まれていました。排泄の確認では軽く腰をあげてくださるなど、最後の最後まで自分でできることをされていました。どの訪問時にも「ありがとう」とおっしゃられ、自分の最期を迎える準備をされていたようです。どのヘルパーも“これが最後の訪問かもしれない”という心づもりで訪ねました。昼のヘルパーは、八幡大神社で「Bさんが一番望むときに旅立てるように、奥様お迎えに来てください」と祈って帰り、夜のヘルパーは、奥様の遺影が見えるようにふすまを開けて、「ゆっくりお休みください」とお声がけして退室しました。入院予定日の2月2日。朝8時すぎにヘルパーが訪問すると、すでにBさんの呼吸は止まっていました。穏やかな顔で手を組まれて最期を迎えられたその姿に、訪問したヘルパーは涙が出ました。事前の申し合わせ通り主治医へ連絡し、Bさんをお見送りしました。    

 

短い間でしたが、ご自身の生き方を貫かれた姿に多くのことを学び、貴重な経験をさせていただきました。これを糧に日々のひと時ひと時を大切に、また関わっていきたいとの思いを新たにしました。