泳 ぐ 焼 き 魚
死因は二次放射能障害
白  魚
Sirouo fish
原爆忌を迎えて
濡 れ た 千 羽 鶴
ヒロシマの遺臭
朝日新聞記事
死 因 は 典 型 的 な 二 次 放 射 能 障 害 に よ る 白 血 病
 (週間とちょう「8月15日終戦記念日特集,1988年8月8日」)

 八月十五日午後の広島駅は、原爆負傷者や行方不明の家族を探す群集で混雑していた。

 夏の太陽が、すでに焼け野が原となった各所で焼かれる死臭を、一層息苦しく照りつけている。かろうじて動き始めた鉄道に乗り込むために、人々は争ってうごめいていた。

 正午に重大放送があるとのことであったが、原爆負傷者収容所となった、郊外の小学校の講堂で聞いたラジオは、感度も悪く軍国主義で育てられた十七歳の私には、とても理解できないものであった。

 「無条件降伏」とか「敗戦」という断定的な表現はなく、それでいて勝利とは反対の局面を迎えたくらいしか分からない。
 同級生に出くわしたのはそのような状態で、駅前でもみあっていたときであった。
 「やあ、負けてしもうたな」
 Mは、あっさりといってのけた。そうか、やっぱりあの放送はそういう内容だったのかと、呆然とした顔にMは晴々とつけ加えた。
 「これで、俺たちはもう心配しなくていいぜ」

 私は頭をなぐられたくらい驚いた。苦戦よりも敗戦、敗戦よりも占領されることの方が、生活しやすいとは到底考え及ばなかったのである。
 重傷の母を探し出し、半年に及んだ原爆後遺症からも回復し始めたころ、無傷で元気に活躍していると耳にしていたMの死を知った。
 死因は典型的な二次放射能障害による白血病とのことであった。

 私などよりはるかに戦争の本質を見抜いていたことを初めてさらけだして、彼の未来への大きな期待をこめた晴々としたその表情と声が、真夏の太陽のもとで毎年必ず思い出されるのである。

   *    *    *    *    *

(後記)

 このように元気で無傷の人が次々に亡くなった。
 母を探す私を励ましてくれた友人も、無傷であるがゆえに、懸命にひとを励まし助けて走り回った挙げ句に、二次放射能障害に襲われて斃れた。
 善意の者が、善意の行為のゆえに、犠牲になった。原爆は、戦いを早く終わらせたという解釈があるが、善意の犠牲者にもそう言えるのだろうか。

泳 ぐ 焼 き 魚
死因は二次放射能障害
白  魚
Sirouo fish
原爆忌を迎えて
濡 れ た 千 羽 鶴
ヒロシマの遺臭
朝日新聞記事