追悼コラム キン子さんと過ごした日々【後編】

  <ナースさくまの家で旅立たれた野島キン子さん(享年96歳)との思い出を綴ります>  

 

自宅から杖をついて、津島先生の桜治療院に通っていたキン子さん。杖はやがて手押し車になり、通うのが難しくなってからは、訪問リハビリに。さくまの家に移ってからも、津島さんに継続して来ていただいて、亡くなる2ヶ月ほど前まで、ベッドの手すりにつかまりながらしっかり立つこともできました。

 

       

 

時々体調を崩されることもありましたが、キン子さんは熱が出てもまた元気になる、体力のある方でした。国際基督教大学へ桜を見に行ったり、小金井公園でコスモスを愉しんだりと、外出もご一緒しました。カメラを向けるとむすっとした表情を見せますが、普段は無邪気な笑顔や微笑みを見せて、スタッフを和ませてくださいました。とても耳が良く、スタッフが部屋の引き出しを閉めると「うるさいよ!」と言ったり、夜暗い部屋に入ると、「あら、いらっしゃい」と言って驚かせたり。チャーミングなお方でした。

 

       

 

みんなに愛されていたキン子さん。スタッフも、何かと理由を付けてはキン子さんの部屋にお邪魔して、顔をのぞきに行っていました。歌もお好きで、ヘルパーに合わせて口ずさむことも。息子様も「さくまの家にいた方が、お母さんは元気だから」と、最期までさくまの家で暮らすことを受け入れてくださいました。

 

 

 

※   ナースさくまの家には、キン子さんの生活を支える地域の人たちがたくさん出入りしていました。往診の山根先生に、リハビリの津島先生、ケアマネジャーの坂田さんに福祉用具さん、デイサービスの方や介護スタッフなどなど。いろいろな人が顔の見える形でつながっていて、何か変化があった時も、すぐに連携できました。キン子さんが天疱瘡になったときも、シャワーの介助をしていたヘルパーが小さな湿疹を見つけ、佐久間看護師が確認をし、すぐにクリニックの先生に診てもらうことができました。  

 

 

 

※   1年ほど前から徐々に身体が弱ってきていましたが、亡くなる3日前まで、エンシュアやOS1など、飲み込めるものを口から食べていたキン子さん。本当に、気持ちも身体も丈夫な人でした。徐々に痰がらみが強くなり、優れない表情を見せつつも、すぐ安らかにすやすやとよく眠られて、そのまま旅立たれました。5年余りに渡り、さくまの家の2階の奥にいつもいらしたキン子さんの存在は大きく、喋らなくてもみんなをつなぐお日様のような人でした。あらためて心よりご冥福をお祈りいたします。    

※ ブリコラージュ2018年秋号掲載撮影: 川上哲也氏