原爆の体験を伝えたい~佐野博敏先生から預かったもの

今年の4月から3ヶ月ほど、佐野博敏先生(東京都立大学元総長・大妻女子大学名誉学長)のところへ通わせて頂きました。身辺のお手伝いをしながら、折々これまでのご経験、戦後の米国留学や放射線研究、大学でのあれこれ、入院時のリハビリの苦心など、先生はいつも飄々と私たちヘルパーに語ってくださいました。

その中で、被爆直後に広島のまちで、お母様を探して歩き回られた話は、とても強烈でした。とはいえ先生の語り口は独特で「川を背びれの焼けた魚が泳いでいるのを見た。姥捨て山の”灰で縄をなう”みたいに言えば、”泳ぐ焼き魚”だよ」「丸木夫妻の絵は美人画。あんなキレイな人はいなかった。素人の描いた絵の方がホンモノ」などなど。

元々ご自身で原爆についてのエッセイや掌編小説などをホームページを作ってまとめていたものの、プロバイダーの都合でだいぶ以前に閉鎖してしまったとのこと。その話を伺い、貴重な経験なのでぜひ引き継いで残したいと申し出て、先生からも快くメールで以下のデータをお送り頂きました。

原爆への怒りを声高に訴えたり、悲嘆を強調するのではなく、伝わらないことを前提に日常と地続きの出来事として語られているために、かえって心の奥底に響きます。小説は婦人公論に投稿したもので、川端康成に高く評価されたのだとか。

先生から送って頂いたのが6月22日。ヘルパーたちの間で読んでいたく感動し、広島に住んでいたメンバーもいて、「今度は”くまちゃんハウス”でお話を聴かせてください!」とお願いして、家の中じゃ張り合いなくて~というリハビリを兼ねて、出かけましょう!とお話をしていた矢先。ちょうど真夏を思わせる猛暑となった6月の終わり、先生は急逝されました。享年93歳。

原爆の記憶を託してくださり、安心されたのでしょうか…。ただただ残念です。

ここに引き継ぎ、原爆の惨禍を決して繰り返さないよう願うとともに、先生のご冥福をお祈りいたします。

泳ぐ焼き魚  二次放射能障害 白 魚 原爆忌を迎えて 濡れた千羽鶴 ヒロシマの遺臭