追悼 最期の1日をさくまの家で

   9月19日、ナースさくまの家(以下、さくまの家)でYさん(83歳)が旅立たれました。当日の午前中に病院から退院し、3人の娘さん方に見守られながら、夜10時ごろ静かに息を引き取られました。    

 

   

 

 もともと市内の有料老人ホームにお住まいだったYさん。若いころは会社の役員として活躍されていたそうです。 8月上旬から、誤嚥性肺炎と心不全により今年3度目の入院をしていました。前回までは口から食べることができましたが、今回は飲み込む力が弱くなってしまい、病院側も食べることができないと判断。一方、食べることが大好きだったYさんを知るご家族は「少しでも食べさせてあげたい」という願いが叶えられず、医療職とのやり取りに苦労されていました。

 

  そこで娘さんが連絡を取ったのが、口から食べることに積極的に取り組んでいる横山先生(横山歯科)でした。横山先生は、以前からさくまの家にも訪問歯科として関わっています。これまでも何度か、退院してから食べる力を取り戻した方々のことを一緒に見てきました。そんな先生がYさんのお口の中を見て「僕はまだ食べられると思う。ご家族から連絡があったらよろしく」と、さくまの家にYさんとご家族を紹介してくださったのです。娘さんには、事前に2回さくまの家に見学に来て頂き、ここでYさんを看ることを了承していただきました。しかし、その後Yさんの容態は安定せず、退院しようとしては中止になることが2度続きました。3度目に退院の話がもち上がったとき、 ナース佐久間より「さくまの家はYさんを迎える覚悟ができており、病院から言われたことがすべての選択ではないこと、何より後悔しない最期を迎えてほしいこと」を説明。ご家族にどうするかを考えていただき、結果迷いながらも19日の退院が決まりました。このとき、すでにYさんの血圧はうまく測れず、意識レベルも低下していたため、2階の個室に移動していただくのは困難と判断。急きょ、普段テーブルを置いている1階のリビングにベッドを運び入れ、つい立てを置いてYさんを迎え入れました。退院後、すぐに横山先生も駆けつけ、口の中をケアしてくださいました。「何か食べさせたいものは?」という問いかけに、「ウイスキー」と娘さん。急いでウィスキーのロックを作り、スポンジに染み込ませて、口元に運びました。すると、Yさんがパクッ!とスポンジを噛んだのです。みんなで「ああ!」と声をあげました。「よかったね、お父さんもわかっていると思うよ」。そう言い合いながら、残された時間をともに過ごしました。思い出を振り返ったり、スタッフが身体のケアを行ったり… 、そして夜が深まったころ、Yさんは娘さん3人に囲まれて穏やかに息を引き取りました。  

 

 緊急体制だったため、個室の静けさはご用意できませんでしたが、逆に他の入居者さんとの会話が生まれたりして、リビングを活用したからこそ温かい雰囲気の中でYさんを見送ることができたように思います。さくまの家で過ごされたのはほんの1日だけでしたが、Yさんとご家族との出会いは佐久間にとっても濃密で、ついこの間会った関係ではないと思うほど。不安定な症状の進行に添いながら、最期をどこでどう過ごすのが望ましいのか、深く悩み葛藤し、話し合いを重ねた日々…。後日、娘さんが再度さくまの家を訪ねてくださり、とてもよいお葬式ができたことをご報告くださいました。「トンカツでも食べさせてあげたかったね」。そう笑いながら、Yさんとご家族に最期の場所として選んでいただき、お見送りできた意味を噛み締めました。